高校を辞めて2年が経ったので、この2年間を振り返ろうと思います。

 

「この場所にはもう居たくない。」

そう感じて2年前の5月31日ぼくは高校を辞めた。

 

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この記事はぼくが高校を辞めるまでの人生と、高校を辞めてからの人生を書こうと思います。

だから長くなってしまいました(5000字)。

それでも、読んであげるよという物好きな方だけでいいので、読んでほしいです。

ありきたりな書き出しで始まって、いかにもな結末で終わるようなそこらへんの恋愛小説よりは面白いストーリーだと思いますので。

とりあえず、いまのぼくのありったけです。

 

芽生えだした違和感

高校2年生の春、札幌ではまだ桜の残る5月の終わりにぼくは高校を辞めた。

高校デビューがとてつもなくいい方向に進んだぼくは、高校に入学してすぐに勉強が好きになり、生徒会に入り、放課後には本屋に通いつめた。

ひたすらに知識をむさぼり、同級生ともワイワイする充実した日々が続いた。

 

けれどたくさん本を読むなかで、たくさん勉強をするなかで、楽しい青春を送る中で、充実感とともに小さく芽生えた違和感と虚無感は次第に大きくなっていった。

 

「どうして日本の教育は、こんなにも本質からそれて枝葉にばかり注力しているんだろうか、バカバカしくてやってらんないじゃん。」

知識を得てムダに賢くなったぼく(しかも調子づいている)は、的外れな教育と、周りとの意識の高低差に絶望した。楽しかった毎日も、だんだんと居心地が悪くなっていった。

 

「もうここには居たくない。」

 

知識量と比例して、学校への違和感は大きくなっていった。まわりの友達とも話は合わなくなるし、ぼくはもっともっと人間という生物の高見を見たくなった。

自分がすごいと思う人たちと肩を並べたかった。

その意識のズレは日に日に大きくなって、高校二年生になったころにはもう学校にいられなくなった。

だって、まわりと合わないのは辛いから。

そこに居続けることのできなかったぼくは、一寸先すらも見えない真っ暗闇に飛び出した。

2年前の5月31日、ぼくは高校を辞めた。

 

会ったこともない偉いおじさんの定めた社会のレールを思いっきり踏み外した。そして、自分の直感を信じて恐る恐るだけど、一歩を踏み出した。

 

あの日から、ぼくの人生は動きはじめた。

踏み出した一歩はもう戻せるわけもなく、ぼくは二歩、三歩と自分の足で歩きだした。

 

 

踏み出した一歩をさらに

海外の大学に飛び級しようとして、まずはフィリピンへ留学した。

 

そして、全然日本のことを知らない自分を知った。

 

「どうせ大学に行くまで時間があるから」

そんな軽い気持ちではじめた日本一周はぼくを旅の虜にした。

はじめてみる景色、はじめて食べる料理、見るもの聞くもの食べるもの、同じ日本なのにすべてが新鮮で魅力的だった。

はじめての野宿は、ぼくに自然の厳しさと美しさを教えてくれた。あの日見た夜空と、明け方に飲んだコンビニのコーヒーの味は一生忘れない。

はじめてのひとり旅はぼくに生きることのすごさと、美しくて汚い世界を教えてくれた。

17歳のぼくは世界の美しさに感動し、世界のくだらなさに絶望した。

 

ここはほんとうに現実なのかってくらい満天の星を見て泣いた。無茶をしすぎて道で倒れていたところをトラックのおじちゃんに助けてもらって、人のやさしさを知った。

荷物を放り出してずっとながめていたいような綺麗な海辺に捨てられている大量のゴミに嘆いた。人間のエゴに憤りを感じた。自分の無力さを悔やんだ。世界なんて消えてなくなれと本気で思った。

 

喜びと嘆きの入り混じるカオスな旅はぼくに「生きる」ってことを教えてくれた。

 

 

歩みを止めて考えてた。けれどそれは歩んでいたのかもしれない。

一昨年の12月26日に無事日本一周を終えたぼくの心はまだモヤモヤしていた。

自分はなにが好きなのか、自分はなにがしたいのか、世界はどうしたら面白くなるのか。

考えて考えて、考えた。

でも、結局答えは出なかった。

 

けれど、ふと海をながめていたときその瞬間はやってきた。

「あ、世界って悲しいほどに愛おしくて美しいんだ。醜くて、汚くて、人間なんて過ちを犯してばっかだし、いつになってもダメダメだし、ほんと最悪だけど、でもぼくも人間だし、それでいいんだ。」って思えた。

気づいたらモヤモヤは晴れて、なにかが腑に落ちた。

自分が、どんなに苦しくても、悲しくても、前に進まなければ生きていけない人種だということを悟った。

 

自分のしたいこと、好きなことをたくさん書き出して、めんどくさいけどぼくのしたい生活をするにはお金が必要だったから仕事をつくることにした。

「大量消費ではなく、自分にとって本当に意味のある消費をする世界がいい」

おだやかな社会がいい。

どうせお金を稼ぐなら自分がほしい社会をつくろうと思って、たくさん事業を考えて形にしようとしていった。

 

ある程度進むべき道は見えてきて、海外の大学に行こうとしていたぼくは日本の大学に行くことにした。

そして、旅をするように生きようと思った。

日本一周をしてすっかり日本と旅の魅力にとりつかれてしまった。

 

去年の6月には、無事大学に合格し、このブログもはじめて、自分の仕事をつくるってことをしはじめた。

 

プログラミングやデザイン、モノづくりのような、スキルもなにもないぼくがいまできることはなんだろうと考えた結果、本屋ならできるかもと思って本屋をつくりはじめた。たった数十年の人生で一番触れてきて、支えになってくれた物だから。

ぼくでもできそうで、ちゃんとぼくのつくりたい世界への手段になっている本屋を。

だからぼくにとって「本屋」っていうのは絵を描くときの筆と絵具のようなもの。

 

 

過去を受け入れることができたなら、きっとその人の瞳は静かに輝きを増すのだろう。

10月には大学生になった。

ちゃんと飛び級してやった。ちょっと誇らしかった。「高校は辞めてもいいから大学には行ってくれ」と言っていた両親に少しは親孝行みたいなことをできたかな、って。

大学がオンラインなこともあり日本一周後も変わらず、日本や世界をふらふらしていた。

 

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ここでちょっとぼくの過去の話をしたい。過去と言っても高校よりもまえの話。

 

ぼくが2歳のときに実の両親は離婚している。

そしてぼくは母側に引き取られた。

けれどすぐに母は病気になってしまいずっと寝たきり。

ぼくはすぐに母側の祖父母のところに養子になることが決まった。3歳のとき。

母は不治の病だったらしく、ずっと病院で寝たきり。

ぼくは祖父母の家ですくすくと育った。

 

でも、こどもながらにわかってしまうもので、自分が普通の家庭と違うことをずっと気にしていた。

周りのおとながぼくに憐れむような目を向けてくることが、たまらなく嫌で切なかった。

「可哀そう」はただの差別だ。

可哀そうと言ってるあなたは自分が可愛くて仕方がないだけ。おとなの勝手な自己満足でぼくを可哀そうなこどもにしないでほしかった。

 

そんなこともあってか、ぼくはかなり人見知りで、人目を気にするこどもだった。

 

 

中学2年生のときに母は亡くなった。

苦しむ母の姿を見たくなかったぼくは、ほとんど母のお見舞いに行かなかった。

だからぼくにとって実の母は、母っぽくなかった。

亡くなった母の顔を見ても悲しくはなかった。

ただ、美しいなって思ったし、よく生きたなって思った。

 

でもやっぱり思うところはあって、ちょっぴりグレた。

根はムダに真面目でビビりなこともあり、別に法に触れるような悪いことはしてないけど、周りの人を傷つけてしまった。

だからあの頃から仲のいい人たちにはとっても感謝してる。

 

こんな感じだから、ぼくの両親(祖父母)との関係は絶妙な距離感。親であって親でない。

いまではこの距離感が気に入っている。ちゃんと愛されていることも知っている。昔は本当に嫌で嫌で仕方がなかったけど。

 

 

自分が幸せでないと、周りの人が、世界がどんなに幸せでも生きてる心地なんてしない。

そんな過去としがらみもあり、ぼくは「高校を辞めるかわりに大学には行ってほしい」という親の提案をのんだ。

けれど、入学から2週間くらいでぼくは講義をとるのを辞めた。

いまの自分は学ぶ時期じゃないと判断したから。

1年間の学費を講義よりも別のことに投資したほうがいまは得られるリターンが大きいと踏んだから。

ひとまずほとんど熱海の本屋につぎ込む。

きっと10年後くらいには自分の学びたいことが明確になっている。そして10年後にはいま投資したリターンが十分にくる。

 

ここでムリをして「親に言われたから」と大学に通っていても、お互いに幸せな結末にはたどり着けない。

誰かのせいにするときは、せめて自分が幸せにならないといけないと決めている。

 

そうして、ぼくは旅を続けながらどうにか仕事をつくってみた。

人と会って、対話して、自分のやりたいことを話して、反応をうかがってアドバイスをもらって、改善してというサイクルを毎日繰り返して。

12月にはほどんど形はできた。

 

 

1年でできることなんてちっぽけで、1日でできることなんて昨日の自分を0.01%上回ることくらい。

この2年間でできたことを振り返ってみた。

まず2016年は、誰かの考えで生きるんじゃなくて自分の考えで生きはじめた。留学や旅を通して広い世界と無力な自分を知った。たぶん一番できたことと言ったらひたすらに考えたこと

常にリュックにA4とB5のノートを入れて持ち歩いて毎日、気づき、モヤモヤ、憤り、楽しかったことをたくさん書きなぐった。一番最初に買ったノートは色あせてボロボロ。

はたから見たらただの自分探し。

でも、「自分は探さなくてもここにある」なんて言われてもわかんないんだよ。探さなくてもわかるヤツ、探そうともしないヤツ、色んなヤツがいる。なんだっていい。

自分なんて探したって探さなくたってよくわかんないものだから。けれど、探そうと必死にあがいた時間には価値がある。

 

2017年はひたすら人と会った。1年で500人は会った。

対話を繰り返すなかで、自分の考えはまとまり、自分の声が嫌すぎてあいさつすらしなかったコミュ障なぼくの愛想は、ちょっとよくなったと思う。

 

2018年はなんか運がよくなった。

「は?」とか思われるかもしれないが、確実によくなった。別に超能力とかじゃないんだけど、この人は会うべきとか、これは買うべき、ここは退くべき、っていう直感?がよくなった。

経験とか環境、先天的なものによる共感覚みたいな、直感みたいな。

 

真理と嘘って紙一重のようなもので、占いとかスピリチュアルなことって実は限りなく真理に近くて、1枚の紙をへだててときに嘘になるんだと思ってる。

実際この世界には理屈では説明のつかないことがうじゃうじゃしてる。

それに本当に大切なものはだいたい嘘に隠されてる。

 

まぁなんか運がよくなったってこと。

熱海に本屋をつくろうと思って発信したら、知り合いが熱海の人とつないでくれて、そこからその日のうちに素敵な物件までたどりついたり。

1月にはじめた人生を変えた一冊書店も、素敵なコメントをいただけたり評判がよくって、ありがたい限りだ。

良い出会いもたくさんあった。

 

でもこの2年でできたことなんて全然なくて、正直ちゃんと進めているのか不安でしかない。「ほんとどーしよー」って毎日不安。

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忘れてはいけないのは、ぼくはひとりでは生きていけないということ。毎日誰かに助けられて、誰かに迷惑をかけて生きている。ほんと迷惑かけてばっかで自分勝手でごめんなさい。

でも迷惑かけないようにするのはムリだし、誰かを傷つけるなと言われてもムリ。ぼくらは毎日名前も知らない誰かを見捨てて生きている

だから、せめて感謝だけ忘れないように生きたい。

 

 

ここからが勝負

少しづつ、道は開けて先が見えてきた。

きっと人生というのは、失くしたなにかを探す旅路のようなもの。

生まれてくるときに落としてしまった大切な自分のかけらを拾い集めて進んでゆく。

 

ぼくの旅路は、はじまったばかりかもしれないし、もう終わってしまうかもしれない。まだまだ続く長い道かもしれない。

未来なんてわからないけれど、きっと期待していい。

大丈夫。

 

死にたくなったら神様のせいにすればいい。このくだらない世界のせいにすればいい。

生きたくなったら、好きな人のせいにすればいい。

 

ぼくの旅路はぼくと誰かと、なにかでできている。

現在、過去、未来どれひとつ欠けてもぼくにはならない。

 

存在するという奇跡のような偶然と必然に感謝して、これからもゆっくり前に足を進めていこう。

 

 

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いつもお世話になっている方も、はじめてぼくのブログに目を通してくれた方も、ありがとうございます。今後とも村松徳馬をよろしくお願いします。