自分を知るということは、想像以上に難しい

彼を知り己を知れば百戦危うからず

ぼくという人の根本を支える言葉のひとつ。

 

知ってる人も多いかもしれないが、孫子さんという昔のえらいおっちゃんの書いた孫子の兵法という兵法書の一文。

「敵のことを知り、自分のことを知れば、もう負ける確率は格段に減るよね。」ってこと。

負けることをしなくなると言った方が正しいのかもしれない。

 

戦争は、必ず多くの命が犠牲になる。

 

負けなくたって、命を落とす人がいる。

負けたらもっと、多くの人が命を落とすし、苦しい思いをする。

だから勝たなくてはいけない。

 

絶対に勝てる状況と土俵でしか勝負しないのが、常勝する上で必要なこと。

「それじゃ面白くないじゃん。」

って思うんだけど、民の生活、命を背負って戦争をしていると思えば、大事なこと。

 

そして、ぼくが孫子の兵法を気に入っているのは、「戦わずして勝つのが最強。」と言ってるところ。

戦ってしまったら、必ずけがをする人、命を落とす人が出てしまうのだから、戦わないで勝つのが一番と言っている。

 

会ったことないが、孫子さんイケメン。

 

話を戻すのだけれど、ぼくは昔「彼を知り己を知れば百戦危うからず」は彼(敵)を知る方が難しいと思ってたし、敵を知ることに重きを置いていた(学校の勉強とかまさにそう)。

けれど、ふと己を知るといることを考えたときに、「あれ、自分のことあんま知らないな。」ということに気づいてしまった。

 

そんで、前にどこかの記事でも書いたのだけれど、日本一周をしながらひたすら自分と向き合った。

一周後も、伊豆に籠って、自分はどんな人でなにをしたいのか色々考えた。

 

それである程度わかった気でいた。

でも、最近になって「やっぱ自分は自分のことをよく知らないな。」と感じた。

 

それにはきっと理由があって、

一つ目は、自分とは自分以外の存在と照らし合わせることで見えてくるものだから。

二つ目は、自分とは常に変化していくものだから。

 

自分とは、自分以外の存在と照らし合わせることで見えてくる

まず、個とは他がいないと成り立たない。

自分を知るには、他を知る必要がある。

 

例えば、実は野球に才能がある子でも、野球というものに出会わなければ、自分に野球の才能があることに気づかない。

色々な経験を通さないと、本当に自分という存在を知ることはできないという結論に至った。

 

だから、まだ経験値の浅いぼくは、自分を知っているなどとは言えない。

ある程度分析はできてるし、なにをしたのかも知ってるし、なにが好きなのかもそれなりに知ってる。

 

あとは自分がどういう場面で最大限力を発揮できるのか、生まれ持って他者より頭一つ飛びぬけている才能はなんなのか。

自分がどんな状況で不利になり、無駄に疲れてしまうのか。

 

そこらへんを経験を通して探っていく。

 

自分とは常に変化していくもの

次に、自分とは常に変化していくものだと気付いた。

 

昨日の自分と今日の自分は別人。

 

昨日好きだと言っていたものが今日には嫌いになっていたり。

できなかったことができるようになったり。

この世に形作られたものは、すべて時とともに変化していく。

 

だから、”毎日アップデートされる自分を知り続ける”という行為を人間は一生続けなければならない。

 

そんなことをここ一週間考えていた。

「自分」っていうのは知っているようでなんもしらない。

この世で一番奥深いのは「自分」かもしれない。