人生はだいたいゲームと同じ

人生とはなにか?

 

これは非常に哲学的で、幾万通りの答えがあり、人によって出す答えの違う問い。

決まった答えのない問い。

 

勝手に自分で答えを出してもいいし、出さなくてもいい。

だって学校のテストじゃないんだから。

 

ぼくのこの問いに対する答えは

みちくさ

人は生まれて死ぬだけでその過程を「人生」というんだから、「人生」はみちくさだ。

 

ぼくら人間および生物は、自ら望まれて生まれたわけではなくて、誰かに望まれて生まれてきた。それは、親か、神か、DNAか。

 

知らないけど、なんか生まれてしまった。

 

だから結局のところ、ぼくらに生きる責任なんてない。

死にたくなったら、誰かのせいにすればいい。

 

「おい、神様ふざけんなよ。」

と言えばいい。

 

そう。それだけ。

でも、死ぬのはこわいし、まだ生きるほうに希望がある。

 

だからぼくも、

おそらくあなたも生きている。

 

突き詰めると「人生」とか「生きる」なんてそんなものだろう。

 

どう生きようか

次は、じゃあ死ぬに死ねないこのぼくは

どう生きようか?

 

という問いにぶつかる。

 

そう、自分はどんな風に生きたいのか。

この問いに答えるためには、

おそらく生まれてから、何年か生きる必要がある。

 

なぜなら、いろんな経験を通して自分がなにに心揺さぶられるのかを知る必要があるから。

 

野球選手に憧れる人がいれば、弁護士に憧れる人もいる。

世界中を旅することに心揺さぶられる人がいる一方、定住することを望む人もいる。

 

そしてこの問いに答えることは、普通に生きてると難しいかもしれない。

なぜなら多くの人は自分を知らなすぎる

 

そこで、この問いを解決するためには自分と向き合うためだけの時間をとるのが手っ取り早い。

ぼくの場合それで出た答えが、

「旅して温泉入りながら生きる」

「いいものを長く使うのはカッコいいという価値観を広める」

という2つ。

 

高校辞めて留学して、日本一周してニュージーランド散歩して引きこもった結果がコレ。

どう生きようか?

という問いに対する答えは見つけた。

 

どんな道を選ぼうか

どう生きようか?に対しての答えが出た。

ということは進むべき方向が決まった。

 

次は

どんな道を選ぶか?

 

どう生きるのかという「コンパス」は手に入れた。

だから、コンパスに従って生きればいい。

 

けれど進むには、コンパスに従って進むときの道を決めなければいけない。

陸路、水路、空路。

色んな道がある。

 

ぼくはひとまず

本屋・靴屋・広報・書きごとを選んだ。

 

どこへ行くのか

次は、

どこへ行くのか?

という問い。

 

これは、人によって順番が変わるかもしれないが、ぼくはこの位置にあるものだと判断した。

 

いままでのことを、旅におきかえてみると

①旅に出ることを決める

②コンパスを手に入れる

③進む道を決める

④目的地を決める

 

経験上、生きる上では地図よりもコンパスの方が大事なのだ。

地図は目的地までの道のりはわかっても、進む方向はわからないから。

 

そして目的地が④な理由は、最初から目的地なんてわからないから。

最終的な目的地が「死」なこと以外、わからない。

きっと、とりあえず旅に出てから見つけるものなのだ。

 

ぼくの目的地は

「結婚して、温泉地で温泉暮らしをしつつ、月の半分は旅をする」という生活と

「イイものを長く使うのがカッコいいと思ってくれる人が、自分の周りにたくさんいる環境を作る」こと。

 

目的地はなにかを続けているとわかるもの。

 

人生をゲーム化する

これで

①旅に出る覚悟

②コンパス

③進む道

④目的地

がそろった。

 

これで人生はゲーム化できる。

 

敵はたくさんでてくる。

リセットはできない。

初期スペックも選べない。

ゲームオーバーは死んだとき。

 

人生は一度きりの壮大なゲーム。

そう考えると、とてつもなくワクワクしないだろうか?

 

ぼくは書いていてワクワクが止まらない。

なにも考えることなく、コンパスも持たず、人に薦められら道をさまようのも悪くない。

 

けれど、せっかくなら、壮大な冒険をしてみたい。

せっかく生まれてきちゃったんだから。