高校を中退したとき不安はなかったのか?

ぼくは高校中退という、多数派とは異なる選択をした。

だからこそわかることがあるし、これから高校を辞める人に何かしら伝えられることがあるかもしれない。そんな想いでぼくはブログを書いている。

今回は「高校を中退したときに不安はなかったのか?」ということについて。

 

結論からいうと、

辞める直前までは、めっちゃ不安だった。

 

正直、「不安?そんなもんなかったよ。ぼく天才だから。」とか言ってみたいんだけど、やっぱ不安はあった。

中退後の進路も数本決めていたし、自分の力量も間に合っている計算だった。

現に、大学には受かったし、日本一周も留学も放浪も無事にできた。

 

けれど学校が嫌いだったぼくにも、多数派と異なる道へ行くことに対する恐怖は少なからずあって「学校に属する」という安心感を手放したくないときもあった。

 

周りに高校中退して人生楽しんでる人もいなかったし、高校を辞めたらどうなるのかという想像ができなかった。

未知なものは怖い。

 

でも、辞めるしか先はないと思っていた。

このまま、ダラダラと生きていくか、思い切って未知な世界に飛び出すか。

 

ちょっと迷ったけど、思い切ることを選んだ。

一番気分がよかったのは、辞めた日。

「オレは晴れて自由の身だぁぁぁぁ」とか浮かれてた。

 

そのあとは、不安というよりは、モヤモヤが続いた。

「自分は一体なにがしたいんだろう」とか「なにが向いているのかなぁ」や「どうすれば世界を面白くできるだろうか」など。

 

考えた。ひたすらに。

学校を辞めてからぼくは、いまの日本の学校教育は”考えない人間を量産するシステム”だということを痛感した。

 

そこにいれば安心で、大学にいくことさえできればとりあえずOK。

みんな一緒に進んで、周りの雰囲気に合わせ、期待に応える。

 

学校にいたときの安心感は、ただの幻想だった。あれは安心感ではなく、従属感のようなものだ。

 

従っていればそれでいい。

考えなくても、引っ張ってくれる。

 

「人間は考える葦である。」という昔の偉いおっちゃんの言葉がある。

人は考えるから、人であると。

 

ただ、人の言うことを聞いて生きていたあの頃のぼくは、人ではなかったのかもしれない。

「この大きな船は近いうちに沈む。だからぼくはボートを使って脱出しなければ。」

 

あのときのぼくの決断が、今度どういう結果をもたらすのか楽しみだ。

これからも、「高校を中退する」という決断がぼくの人生にどういう影響を及ぼすのかを随時更新していく。

 

「人生は壮大な実験である。」という言葉が好き。