打席に立つことの大切さを書いてたら、革命のファンファーレのステマになった

最近、よく行動するようになった。

 

色々なイベントに行ったり、人と会ったり。そうすると、たくさんチャンスをもらえる。

それはぼくが若いからかもしれないし、挑戦者だからかもしれないし、単純に運がいいのかもしれない。

 

とにかくチャンスをもらえる。

〇〇してみない?

こんなことあるよ?

と。

 

打席に立たせてもらう回数が増えた。

たまらなく嬉しい。

 

昨日も、ちょうど大阪で3分間だけだがプレゼンをさせてもらった。

ぼくがいま作ってる本屋のこと。

 

結果は最悪だった。

自分でも話していて、「これ面白くねーな。」と思ってしまった。

話が論理的じゃないし、道筋立ててないし、声は小さいし。ワクワクした未来を見せられていなかった。

悔しすぎて吐きそうだった。

 

プレゼン後、本屋に対するアドバイスをもらった。

何がしたいのかわからないと言ってくれたこと、ぼくの考えてるイメージとは違う風にとらえられていたのが、印象的だった。

 

要は、ぼくが伝えるのが下手なのだ。

「伝える」とは、相手の中にあるイメージを使って、自分の中にあるイメージを共有する行為。

 

例えば、犬を知らない人に、「犬」と伝えても伝わらない。

それは相手に「犬」のイメージがある前提で成り立っている。

 

お互いに共通の認識があるから、伝わる。

(人は言語という共通認識があるから会話ができる。)

 

となると、ぼくはイメージから作り上げる必要がある。

ぼくの頭の中にあるイメージを、相手の頭の中にあるイメージを使って伝える。

 

それが新しいことを伝えるときの基本。さらに、相手にワクワクする未来を見せられたら最高だ。

 

ぼくはこの「伝える」ということがまだ上手くできていない。

昨日それを確認した。

 

そして、自分がやりたい本質まで見失うところだった。

それも自覚した。

改善策も出た。

確実に前進した。

 

プレゼンは失敗するわ、自分のふがいなさとは向き合わされるわで、ぼくの心はズタズタだが、これが挑戦するということらしい。

 

野球に例えると

バッターは、打席に立たないとはじまらない。

そして成長するためには、いかに多く打席に立てるか

さらに、空振りしたときに、どうして空振りしたのかを分析して次に生かせるか

このサイクルを素早く繰り返す。

 

加えて、いかにチームを勝たせるか、チームのために何ができるか。

キャプテンならば、チームを背負っているという責任までものしかかる。

 

挑戦はつらい。

責任をすべて自分で背負って、暗闇の中を進んでいるんだから。

ふと、立ち止まると、途端に恐怖に見舞われる。

 

けれどぼくは進む。

何故なら、成し遂げたい未来があるから。

応援してくれる人がいるから。

 

暗闇の中に、一筋の兆しがあるから。

17歳から、打席に立ちまくって、失敗して改善してを繰り返しているんだから、なんとか生きているうちに自分の目標に近づけるのではないかと思っている。

 

けれど、高校一年生までのぼくは挑戦することが苦手だった。

それは、挑戦できる環境にいなかったから。

なにか新しいこと、人と違うことをすれば非難される環境にいたから。

 

感情は環境に支配される

その通りだ。

これは革命のファンファーレという西野亮廣さんが書いたビジネス本の一文だ。

 

これをきっちり理解して、挑戦し続ける、西野さん。

 

かっこいい。

あなたが挑戦する姿を見て、確実に人々の心に灯がともった。

少なくともここにひとり。

ぼくの革命のファンファーレも鳴った。

 

いま最高にゾクゾクしている。

あなたと同じ時代に生まれたことに心から感謝します。