高校中退のその後ー2年ー

先日の5月31日で高校を辞めてから2年が経ちました。

 

高校辞める前の思惑ではいまごろ、ニュージーランドの大学でなんかカッコいい学生生活をしている予定でした。

それがふたを開けてみると、熱海の海辺でパソコンカタカタしてブログ書いています。

 

うん。人生は何かが起きるかわからない。

 

 

ぼく、正直なところ「高校辞めたオレカッコいい」とかちょっと思ってたんですよ。

日本一周したり、いろんな場所を周って開業もして。

自分は他のヤツとは違うって。

 

でも、「他のヤツとは違う」っていったい何なんだろうと思って。

そもそも「他」とは、そもそも「違う」とは。

 

他のヤツとは違うことのなにがカッコいいのか?

わからなくなってしまいました。

 

他のヤツ=多数派

違う=多数派の思想と行動とは異なる

他のヤツとは違う自分はカッコいい=多数派の思想と行動とは異なることをしているため、差別化されて集団のなかで目立つため自分は孤高の存在であることを実感して精神的に自惚れることができて楽しい。

ってことなのかと。

最近、「すべてはモテるためである」って本を読んだんですけど、ほんとその通りでぼくモテたかったんです。人として。


あとはたぶん認めてほしかった。みんなをギャフンと言わせたかった。

 

けど、最近そーゆーのが薄れてきたというか、「若いのに色々やってすごいね」って言葉を言われすぎて「ん?」となった。

「あれ、ぼくはすごいねなんて言われるけど、はたして本当にすごいのか?

いや別にただのガキだよな。ちょっと自惚れてたな。」

と自覚しました。

 

飛び級とか中退とか起業とか、一見カッコいいけど、そんなものただの上っ面でしかない。

ぼくにとってはとても有意義な選択だったけど、それはただの選択のひとつで、ぼくがすごいかと言われるとそうでもない。

 

そもそも「すごい」とか「成功」とか「一流」とかもうよくわからない。

自分の行動原理は5割方他の人の目を気にしての行動だった。

飛び級して海外進学する自分はきっとカッコいいのではないか、みたいな。

 

でも最近、意識の枠が広がったというか、いやべつに自分は何してたってカッコいいから、人の目なんて気にせずに、ちゃんと自分の心の声と行動が一致するようなことをしていこうと思うようになりました。

結局、数十億稼ぐ人生も、そこらへんのおっさんの人生も、一緒。

前者は幸せと苦しみの振れ幅がとてつもなく大きいかもしれないし、後者は振れ幅が小さいかもしれない。けれど、両方人の一生だし、どっちがいいとか、どっちが悪いとかもない。

 

本音を言うとぼくはやりたいことなんてない。

「価値のある消費をしてほしい」とか、「選択肢の多い環境を届けたい」とか色々と想うことはある。

価値観ははっきりとしている。やりたくないことがはっきりしている。

やりたくないこと以外だったら何をしてもいい。

 

それで、ひとまずは「本」に関連することにしぼろうと思いました。

だから、高校を辞めて2年後のいまは、入った大学も休学して、旅する生活も一旦辞めて、熱海で本屋をつくっています。

高校を辞めてからの2年間で、自分はとても成長したなんて自惚れていたのですが、継続はできないし、コミュニケーションとるの下手だし、お金まともに稼げないし、すぐにネガティブになるし、でダメダメでした。

 

高校を辞めたという決断はいまでもナイスだと思っています。それで得たものがたくさんあるから(人とのつながりや思考)。

ただ、その選択は自分をわざわざ険しい道へと追い込む選択だったわけで、高校を辞めたぼくはカッコいいわけではなくただのドMだったということです。

「なんでこんなに切羽詰まってんだよ、ぼくだって普通に高校行って受験して大学行ってそれなりに勉強して就職したりしたいわ。それでも楽しい人生送れるわ。」と思っています。

 

まぁ高校にいられなくなってしまったので、高校を辞めたので仕方ないです。

最近好きな言葉は「愛のある仕方ない」です。

「好きになってしまったのだから仕方ない」とか「起きてしまったのだから仕方ない」とか幸せになれるような仕方ないが好きです。「仕方ないなぁ~」とか言いながら真剣になにかに取り組むとか楽しいです。

 

だから高校を辞めてしまったのだから、自力でどうにか前に進むしかないっていういまの環境がなんだかんだ気に入っています。

高校を辞めてから2年が経ったいまの心境はこんなかんじです。